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Channel: 部長ブログ@箕面市役所
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あれから1年

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みなさんこんにちは 市長政策室長の具田です。

三寒四温とはよく言ったもので、本当に寒い日と暖かい日が交互に現れつつ、少しずつ春に向かっています。今年は、寒さが長く続きましたが、ようやくあちこちで、春の訪れを告げるように、つぼみが開いています。

市役所では、市議会での新年度の予算審議などが行われています。昨日4つの常任委員会が無事終了し、26日・27日の本会議に向けての準備を進めています。

 

 

さて、未曾有の大惨事から1年が過ぎました。まずは、犠牲者のみなさまに哀悼の意を表しますとともに、未だ不自由な生活を余儀なくされておられる被災者のみなさまにお見舞い申し上げます。
“あれから1年”をテーマにテレビや新聞などで、特集やドラマなど様々な形で取り上げています。11日はすべての放送局で多くの時間を割いて震災特集が放映されました。もちろんすべての番組を観た訳ではありませんが、どの番組もさまざまな角度から震災、津波、原発を取り上げて、生き残った人たちの残念で切ない想い、もう少し何とかできたのではとの自分への責め、亡くなった連れ合いや子どもや知り合いへの想い、この1年がんばって復興に取り組んだ人、自衛隊やアメリカ軍など国内外から応援してくれた人、そして、特に原発事故対応への政府への不信感を映し出していました。

魚市場の復活で活気づく港町、従業員を再度呼び戻して再建した町工場、全国からの支援で復活した理容店、その一方で、未だ、身元の判明しない遺骨、町長も含め多くの職員が死亡した役場、高台移転と元の場所での再建を願う住民の意見対立で進まない復興。
特に、私たち市役所の職員として心を痛める出来事の一つは、南三陸町の防災対策庁舎で津波の避難を町民に防災放送で最後まで呼びかけ続けて亡くなった、南三陸町職員の遠藤未希さんです。その放送を聞いて多くの町民が避難をし、助かりました。遠藤さんは津波に襲われるまで放送を続けていました。防災対策庁舎だったから最後まで放送したのかもしれませんが、どこまでガンバルべきだったのか、どうあるべきだったのか、非常に悩ましく不幸な出来事の一つです。

 <南三陸町の防災対策庁舎>

 

本市でも、被災地の支援を今も続けています。
現在も岩手県大槌町へは2人、1人は主に住民課の仕事を、1人は1年半以上の派遣で、学校仮校舎の建設を行い、今は、本校舎の建設に携わっています。
市民のみなさまからの義援金も大変多くいただき、約6725万円となりました。先日、ヴィソラで行われた復興支援イベントでのチャリティイベントでも、約44万円お預かりしました。誠にありがとうございます。

また、防災対策の改革も進めています。
市役所の出来ることには限界があります。どうしても市民のみなさんにご自身で対策をしていただき、地域でも対策を考えてもらう必要があります。完全に市内が寸断された場合、震災後本格的に救助が来るのに3日はかかります。その3日間を地域で、ご自身で生き延びてください。そのため、小学校区で地域防災委員会を立ち上げていただくよう、準備会での話し合いを進めています。

幸い、箕面市は東南海・南海地震防災対策推進地域からは僅かに外れています。しかし、これまでの想定は当てにはならないことが今回のことで判りました。本市も必死で対策を講じていきますが、市民のみなさんもぜひとも改めて対策をお考えいただきますようお願いいたします。

死者1万5854人、行方不明3155人、未だ避難者34万3935人。
東北の事情も知らずに、なぜもっと津波対策をしてこなかったのかと問う立場ではないかもしれませんが、二度と津波での災害が無いように、しっかりと復興していただきたいと思います。
残念ながら、未だ将来の見えない状態かもしれません。早急に復興の道筋が見えることを希望いたします。

  



箕面市では、1月から3月まで「はじめませんか?地域のボランティア活動 〜まずは箕面市役所へ!シニア・ナビでご紹介します〜」統一キャンペーンを実施中です。


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