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小野原の歴史・魅力スポット紹介その6〜小野原墓地と泣き地蔵さん

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皆様こんにちは。市長政策室の稲野です。

先月末から今月初めにかけて全国的に真夏日や猛暑日が続き、今年の夏はどうなるのやらと心配していましたが、入梅して雨が降ると、気温は少し下がったようです。あちこちの田んぼでは田植えが終了し、いよいよ初夏らしい風景になってきました。
しかし、蒸し暑さが増してきましたし、食中毒が流行する季節でもあります。大雨や落雷も心配です。平穏を願いつつ、楽しい夏にしていきましょう。節電へのご協力もお願いいたします。

あじさい

(梅雨の象徴-アジサイの花)

 

さて、今回は「小野原の歴史・魅力スポット紹介」その6をお届けします。

 

○小野原墓地
小野原の歴史・魅力スポット紹介その3」として、昨年10月に小野原周辺のまちづくりの経過とゆとりあるまち並みをご紹介しましたが、今回はその事業区域内にある「小野原墓地」をご紹介します。

これまでもご紹介してきましたように、小野原は飛鳥時代頃から西国街道沿いに、農業を主にした集落が形成されてきました。現在、「おしゃれなまち小野原」の中心となっている新市街地は、もとは田畑や竹林などの丘陵地でしたが、1960〜70年の「千里ニュータウン」の開発や「万国博覧会」以降の土地区画整理事業や宅地開発により、整備されてきました。
 
その最後、平成22年(2010年)に完了した「小野原西特定土地区画整理事業」で、数百年以上前から地元小野原住民の先祖をお祀りしている墓地が工事に支障となったため、現在の場所に移転整備されました。

小野原墓地位置図

 

一言に墓地の移転といいますが、これはとても難しい問題です。宗教観は人それぞれ、いろいろな考えのかたがおられますし、中には所有者や管理者が所在不明の墓石も出てきます。太古の昔から営々と守り継がれてきたご先祖様が眠る墓地を移転するには、多様な意見が噴出し、長年に亘り、侃々諤々の議論がなされた後、最終的な結論がまとまり、現在の整然とした新しい「小野原墓地」が誕生しました。

墓地の標名板
(移転整備の経過を記録した記念碑)

 

墓地センター(整然とした墓地を入口から望む)

 

○泣き地蔵さん
「小野原墓地」には、「泣き地蔵さん」と呼ばれ、地域の皆さんに親しまれているお地蔵さんが鎮座します。

「昔、小野原の村はずれの西国街道の坂道で、『与兵衛』という飛脚が盗賊に襲われて命を落としました。村人たちは、日頃からまじめな『与兵衛』を慕っていたので、霊を慰めるため、お地蔵さんをつくることにしました。ところが不思議なことに、何度彫り直しても、お地蔵さんの顔が泣き顔になりました。村人たちは『さぞかし無念だったのだろう』と話し合い、そのままの顔で供養することにしました。」という言い伝えが残っており、嘉永6年(1853年)の出来事とされています。

「泣き地蔵さん」は、墓地とともに移転され、「小野原墓地」の入口にいまも祀られています。いまでも、お墓参りの人々がその前を通るときは、線香をあげ、手を合わせて、『与兵衛さん』のご冥福を祈っています。

泣き地蔵(泣き地蔵さん)

 

泣き地蔵さん2(手前左が「泣き地蔵さん」、奥の墓石群は移転時に所在不明の無縁仏など)

 

【お知らせ】
○杉本類(るい)ちゃんの近況
昨年のこのブログで、9月10月11月と何度も繰り返し、募金のお願いをした杉本類ちゃんの心臓移植手術が今年の3月26日に無事、実施されました。
現在は、経過も良好で、とても元気な様子がホームページで紹介されていますので、ご案内いたします。
ご協力いただいた皆様、誠にありがとうございました。早く体力をつけ、元気に帰国されるのをみんなでお待ちしましょう。

 

 

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箕面市では、4月1日から8月31日まで統一キャンペーン『お家の耐震化チェック無料キャンペーンを実施中!』です。


 


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