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「水」にまつわる名言 Part2 ~ 「水道哲学」 と 「たらい水哲学」

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皆さま、こんにちは。上下水道局長の小野啓輔です。

「酔い醒めの 水千両と 値が決まり」

酒にまつわる落語(「うどん屋」とか「芝浜」とか)によく出てくる、決め言葉です。
宴会好き・酒好きで落語好きの私には、とてもなじみのある川柳です。

元は、「酔醒水値千両」という慣用句で、説明するのも野暮ですが、酔い醒めの起きぬけに飲む冷たい水は、このうえなく美味いです。
透明で無味無臭のただの水なのに、爽やかで、五臓六腑に沁みわたり、ほのかに甘く、甘露の様な深い味わい。

「酔い醒めの、甘露の水の、愛おしさ」  
酒飲みは、実感としてわかる言葉です。

「酔い醒めの水、下戸知らず」 
酒飲みの、せめてもの優越感です。

酔い醒めの水は、科学的にもお勧めです。
アルコールには利尿作用があり、飲み過ぎると体内の水分が過剰に排出されて欠乏し、脱水状態になります。
また、肝臓でアルコールを分解する時、「アセトアルデヒド」という成分が発生します。
これが二日酔いの原因の一つで、飲酒後に身体の水分が足りていないと、効率的にこのアセトアルデヒドを排出する事ができません。
なので、お酒を飲んでいる最中も、飲んだ後も、「水分補給」が不可欠です。
「二日酔い」の予防と回復には、ぜひ 安全・安心でおいしい「水道水」 を、しっかりとお飲みください!!

「酔い醒めの 水飲みたさに 酒を飲み」
結局、酒飲みは、反省しませんね・・・。自戒を込めて。
以前、健康福祉部長時代に自分に向けて書いた酒の注意事項ブログ 「酒と涙と年末年始」 を、もう一度、読み返してみます。
今日のテーマは、「水」にまつわる名言 Part2です。



●「水道哲学」

私の以前のブログ「「水」にまつわる名言」では、「万物の根源は水である」「上善は水のごとし」「水見舞いに水」「水のこころ」をご紹介しました。
今回は、水にまつわる「二大経営哲学」を取り上げます。

まず「水道哲学(すいどうてつがく)」から。
これは、経営の神様、松下幸之助さんが掲げた経営哲学です。

幼い頃に貧しさに苦しんだ幸之助さんが、水道の水のように低価格で良質なものを大量供給することによって物価を下げ、必要な商品が消費者の手に気軽に行き届くような社会をめざし貧困を失くしたいという考え方です。

実は、松下電器の創業は、大正7年(1918年)3月7日ですが、同社の創業記念日は、昭和7年(1932年)5月5日となっています。
それは、松下幸之助さんが自らの目的・使命感と経営の方向性を明確に定め、社員に宣言したのが昭和7年(1932年)5月5日だったからです。

         

その年、かねてから事業経営のあり方に思い巡らしていた幸之助さんは、
「事業経営もまた、人間生活の維持向上に必要不可欠な物資を生産する聖なる事業ではないか。昔から、“四百四病の病より貧ほどつらいものはない”ということわざがあるが、われわれには、その貧乏をなくすために、刻苦勉励、生産に次ぐ生産によってこの世に物資を豊富に生み出す尊い使命がある」
と自覚し、今まではただ商売の常道に従っていたにすぎないが、これからはこの「真使命」に立って事業経営を進めようと決心しました。

そこで、その年の5月5日、端午の節句を期して、大阪の中央電気倶楽部で松下電器製作所の第1回創業記念式を開催し、当時の全社員168人を前に、社主として創業理念をこう語りました。

「産業人の使命は貧乏の克服である。そのためには、物資の生産に次ぐ生産をもって、富を増大しなければならない。水道の水は加工された価(あたい)のある物であるが、道ばたの水道水を通行人が飲んでも誰にも咎(とが)められることはない。それはその量が豊富で、価格があまりにも安価だからである。産業人の使命も、水道の水のごとく、物資を安価無尽蔵たらしめ、無代に等しい価格で提供する事にある。それによって、人生に幸福をもたらし、この世に極楽楽土を建設する事が出来るのである。松下電器の真使命もまたその点に在る。」

そして、この真使命を達成するために、「この日以降、建設時代10年、活動時代10年、社会貢献時代5年、計25年を1節とし、以後同じ方針・方途を時代の人々に伝えつつ、これを10節繰り返し、250年後に楽土の建設を達成しよう。」という、壮大な250年計画を提示しました。

この250年後を見据えた創業者の崇高な使命、遠大な理想に、社員全員が驚き感激し、自らも決意を発表しようと次々と壇上に駆け上がる者が続出し、会場はいつしか興奮のるつぼと化したと言われています。
結局、午前10時に開会した式典は、午後6時にようやく閉会したそうです。
社員の心が一つに結束したこの日を、松下幸之助さんは「創業命知(事業の真使命を知る)第1年」とし、以後毎年5月5日を創業記念日に制定、「250年計画」に向けて同社は歩みを進め、さまざまな製品にこの哲学が映し出されていると言われています。
この考え方は、後に「松下幸之助の水道哲学」という呼称で広まり、経営の神様の経営理念の神髄として、多くの人々に影響を与えることとなりました。

もちろん「水道哲学」は、今から約90年前の理念で、高度経済成長、大量生産・大量消費の時代と現代とでは、社会や経営の環境が大きく異なります。
しかし、個人と仕事の目的・使命感、より良い仕事・良い物づくり、技術革新を追求する探求心・向上心、貧困を無くしたい、社会を少しでも良くしていきたいという公共心、人生観、人間力など、今でも学ぶべき事柄がたくさん詰まった名言だと思います。

   

●「たらい水哲学」

「欲心を起こして水を自分の方にかきよせると、向こうに逃げる。
 人のためにと向こうに押しやれば、わが方にかえる。
 金銭も、物質も、人の幸福もまた同じことである。
 少し押せば少し帰り、強く押せば強く帰る。」(二宮尊徳)
                    
「二宮尊徳」さん(幼名は金次郎)、今では知らない人が多くなってきました。
昔は、小学校に必ず、薪を背負いながら本を読んで歩く「二宮金次郎の像」がありましたね。(箕面市内では、今も残っている学校があります。)

  

また、「たらい」という言葉も、若い人には通じないかもしれません。
洗濯機がなかった時代には、洗濯板とともに洗濯に欠かせない道具でしたが、今ではほとんど見かけなくなりました。
もう、「たらいで行水」することもありませんね。
たらいは、平たい桶(おけ)のことで、通常丸い形をしています。
寿司桶の大きいヤツ と言えば、イメージできるでしょうか?

  

そのたらいに水を入れて、自分のほうに、自分のほうにと何度も水を引き寄せても、水は横から向こうのほうに逃げてしまいます。
しかし反対に、向こうへ向こうへと手元から向こう側に押し出すと、水はたらいの中でぐるっと回って、やがて自分のほうへ戻ってきます。

水を奪い合って自分のほうにばかり欲を張ってかき寄せても、結局他人のほうにいってしまう。逆に相手に与えると、水はこちらに帰ってくる。
幸福を独り占めしようとすると逃げてしまうが、相手のために尽くしていると幸福は勝手にやってくる、利己の心ではなく、利他の心で生きていきなさい との教えです。

二宮尊徳さんは、江戸時代末期の農政家・思想家で、経世済民をめざして報徳思想を唱え、農村復興を推進した偉人です。
彼は、この教訓を何人にも分かるように、開墾事業の視察に行っては、仕事の休みの時間などに、実際にたらいに水をくんで、水を前や後ろに押しながら話をされたそうです。
この考え方は、「たらいの法則」とか「たらいの水の原理」、「たらい水哲学」などと呼ばれ、人々に広がっていきました。

著名な企業人や実業家、学者などにも、よく引用されます。
特に、企業人にとって、なじみやすい経営哲学でもあったようです。
たらいの「水」は、企業にとって「顧客」であり「利益」「お金」でもあります。
自分だけ儲けようとしても儲からない。
儲けることばかりを考え、品質よりもコスト削減を優先し、短期的な利益を追い求めると、いずれは顧客に逃げられてしまう。
それよりも、顧客の利益を優先し、お客様が喜ぶようにすることで、結果として、水はこちらに帰ってくる。
実際、渋沢栄一、豊田佐吉、松下幸之助など、二宮尊徳翁の影響を受けた経済人はとても多いです。
また、「推譲の理」、「先に人を喜ばさないと物事はうまくいかない」、
「与えるものは魅力が増し、求めるものは魅力が減る」
「人に対して何ができるか? どうやったら喜んでもらえるか? まずそれをやるのが、商売の原点」などなど、「たらい水哲学」から派生する経営哲学も数多く生まれています。

しかし「たらい水哲学」は、単に「利益を得たいならば、先に利益を与えなさい」「やがて自分に戻ってくるから、まずは水を押しておこう。そのほうが得だ。」
という表層的な損得勘定で理解されるべきものではありません。

実は、この「たらい水哲学」には、前段と、さらに深い意味があるのです。

二宮尊徳さんの子孫のかたのお話を、引用します。

「人間は皆空っぽのたらいのような状態で生まれてくる、つまり最初は財産も能力も何も持たずに生まれてくるというのが前段にあるのです。
そしてそのたらいに自然やたくさんの人たちが水を満たしてくれる。その水のありがたさに気づいた人だけが他人にもあげたくなり、誰かに幸せになってほしいと感じて水を相手のほうに押しやろうとするんです。
 そして幸せというのは、自分はもう要りませんと他人に譲ってもまた戻ってくるし、絶対に自分から離れないものだけれど、その水を自分のものだと考えたり、水を満たしてもらうことを当たり前と錯覚して、足りない足りない、もっともっととかき集めようとすると、幸せが逃げていくんだというたとえ話だと教わったんです。」

「何も持たず空っぽのたらいとして生まれた自分に、いまや豊かになみなみと水が注がれている。親や先祖が、先生が友人が、同時代を生きる同志が、、、たらいを満タンにしてくれた。ワクワクするようなその感激こそが「この水を他者にも受け取ってほしいという欲求を生み、この欲求が人を「水を押す」行動へと駆り立てるのです。」

「もちろん、水を推すのは決して義務感による行為ではありません。しなければならないことではなく、せずにはいられないこと、といったイメージでしょう。」
(『二宮金次郎の幸福論』中桐万里子さん著 致知出版社)

二宮尊徳さんは、経済と道徳の融和を訴え、私利私欲に走るのではなく社会に貢献すれば、いずれ自らにも還元される「報徳思想」を説いています。
それは、「至誠・勤労・分度・推譲の実践」のなかではじめて人は、物質的にも精神的にも豊かに暮らすことができる、「徳が徳によって報われていく教え」だとされています。

高度成長から成熟社会への大きな転換期を迎える現代社会において、正義や誠実、人情や優しさが失われ、自分本位の利己のみに走る風潮が強い中、殺伐とした事件も多発しています。
また、人々の協働や連帯に基づき、誰もがともに働き、ともに生きていくことができる持続可能な共生社会づくりが求められています。
このような、経済成長のみでは解決しえない社会的孤立や格差、分断などの社会問題・課題に取り組む新しい視点として、二宮尊徳さんの報徳思想が、懐古主義ではなく現代的に見直され、注目されています。

実際に、相次ぐ飢饉・貧困で荒廃しきった全国の農村を600か所以上復興し、人としての生きる道を実践を通じて示していった二宮尊徳さん。
その根幹を成す「たらい水哲学」は、単なる損得の技法ではなく、感謝と報恩、経済と道徳、謙虚と社会貢献、幸福のありか、自立と共生など、二宮尊徳翁の真髄が込められた、奥深い名言となっています。

●公営企業の経営者として

今回、水にまつわる二つの経営哲学を見てきました。

私は、地方公務員ですが、水道事業会計と公共下水道事業会計という公営企業を所管する経営者のはしくれでもあります。
しかし、「水道哲学」も「たらい水哲学」も、もし上下水道局に来ていなければ、きっと出会っていなかった考え方です。

もちろん経営者として、二宮尊徳翁や松下幸之助翁には、とうてい遠く及びませんが、
縁あって、公営企業の経営に携わる身となった現在、
これら、水のまつわる経営哲学をあらためて心に刻み、
市民の皆さま、そして箕面のまちづくりに少しでも貢献できるよう、
より大きな視点と志を持って、日々の経営を進めてまいります。

児童虐待をなくすためには、周囲のみなさんが子どものSOSサインに気づき、通報していただくことが、何より重要です。SOSサインに1つでも気づいたら、迷わず児童相談支援センター☎072-724-6233(夜間・休日は児童相談所全国共通ダイヤル☎189)へお電話ください。 


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