総務部の宇治野清隆です。
平成29年最初のブログになります。今年もよろしくお願いします。
さて、今年は何かを始めたいと思っています。と言ってもまだ決めいていませんが、まず体力増進としてアスレチックジムに行こうかと考えていますが、果たして実行できるかは数ヶ月後に報告します。
- 災 -
平成7年1月17日午前5時46分、淡路島北淡町野島断層を震源とするマグニチュード7.3(気象庁マグニチュード)の兵庫県南部地震、災害名は「阪神・淡路大震災」が発生しました。
あれから明日で22年が経ちますが、未だに当日の前日から地震発生直後のことは鮮明に覚えています。
当時、僕は大阪府豊中市に住んでいて、前々日の1月15日が日曜日で祝日(敬老の日)、16日(月曜日)が振替休日でした。ちょうどその日に神戸市内に観光と買い物に行って、疲れて帰り、眠ったその翌早朝の出来事です。
大きな縦揺れで飛び起き、「ヴオー」と叫んだのを覚えています。
数十秒間は何が起こったのか分からず布団の中で呆然としていました。揺れが一次的に治まった時に起き上がり、電気を付けましたが停電しており、そこで地震だと確信しました。
家族に声を掛け無事を確認し、懐中電灯を探してリビングに行くと、テレビが元の位置から2メート程飛ばされ、食器棚が倒れ、棚の中の食器類が全部飛び出し、床面全体にガラス等の破片が飛び散って素足で歩ける状況ではありませんでした。
スリッパを探し、直ぐに窓から近隣の家を見回しましたが、異常が見当たらず、異様な静けさだったことを覚えています。実家などに電話連絡して両親等の無事を確認しましたが、電話は直ぐに不通となりました。
外に出ると至る所で壁などが崩れており、その段階では大阪が震源地だと思っていましたが、後にテレビで神戸市の映像が映し出されたときには、昨日に歩いていた街並みや阪神高速道路(神戸線)の状況を見て、もし数時間前に起こっていればどうなっていたか・・・、絶句して声が出ませんでした。
箕面市の「阪神・淡路大震災の記録」によると、発災後の午前6時30分に関係部長の招集、災害対策本部が設置され、被害状況の把握から避難所の開設などが順次行われています。災害対策本部が閉鎖されたのは、平成8年3月31日のことでした。
災害は、忘れかけたときに起こります。当時を思い起こすことも、新たな防災意識を高めるものです。
「阪神・淡路大震災の記録」を紹介します。
箕面市の主な被害状況は、次のとおりです。
当時、避難所は西南公民館、老人福祉センター(松寿荘)、せいなん幼稚園の3箇所に設けられ、1月17日から避難者がいなくなった2月28日まで開設され、延べ886名の市民が利用されました。
(全壊した民家:瀬川)
また避難勧告は、発災後から2月始めにかけて瀬川、半町、桜井、桜、坊島、小野原、粟生新家、粟生間谷東など市内12地区に発令され、162世帯、362人が避難の対象となりました。
(市庁舎別館)
(市庁舎別館)
(桜ヶ丘図書館)
(萱野三平旧邸:萱野3丁目)
箕面市では平成24年度から毎年、曜日に関係なく1月17日に全市一斉総合防災訓練を実施しており、明日が5回目となります。
(ボランティアの活動)
市だけでなく多くの市民、関係機関等が防災意識を再認識し、訓練を重ねることが被害の軽減につながります。今回は平日ですので、参加できるかたは地元の自治会や小学校区単位で結成していただいている住民防災組織にてご参加ください。
全市一斉総合防災訓練についてのお問い合わせは、総務部市民安全政策室 072-724-6750(直通)にお願いします。
「自転車事故ゼロ」をめざして「ながら運転」をなくすために、箕面市では2017年3月31日(金曜日)までの間「絶対ダメ!ながら運転 自転車を安全に乗りましょう!」を統一キャンペーンとして展開します。