総務部の中井です。
熊本県を中心に群発している地震は、あと10日余りで発生から2ヶ月を経過しますが、頻繁に起こる余震と、土砂災害など二次被害の危険性が続いており、現地のかたがたは未だに不安な日々を送られています。
一日も早くライフラインや生活基盤の復旧が進み、元の生活を取り戻せますよう、心からお祈り申し上げます。
南阿蘇村に行ってきました
前回のブログでご紹介しましたが、先の地震により大きな被害を受けた南阿蘇村の役場に勤務する友人がおり、自宅が大きな被害を受けたそうです。その上、居住する地域全体が土砂災害警戒区域に指定され、余震や雨で山の斜面が崩れる土砂災害の危険性もあるため、自宅には帰らず、避難所に避難しながらスタッフとして従事しています。
私自身、防災、水防・土砂災害に関する業務に携わっており、さらに友人から、しばらく野菜を食べていない、野菜が食べたいというリクエストもあったことから、今から約1月前になりますが、連休を利用し、自動車に積めるだけの野菜を積んで南阿蘇村に行ってきました。
南阿蘇村立野地区
立野地区(国道57号線沿い)から対岸(国道325号線沿い)を見た写真です。左右の写真は同じ場所から見た写真で、幅数百メートルにわたって斜面が崩れ、崖が上部の建物に迫っています。崩落した阿蘇大橋はほんの数百メートル先にありましたが、橋だけが崩落したのではなく、2本の国道が交わる交差点付近一帯が広範囲に崩落し、写真で見る以上に被害は甚大です。
また、付近一帯は関係者以外立ち入り禁止となっており、この日も震度5の余震があり、全員の顔には緊張感が漂っていました。
対岸は南阿蘇村役場や小中学校などがある村の中心地で、通学路の寸断により同地区の小中学生は、約半数が避難先から地震前とは別の学校に通うということでした。
この写真は、上の写真の対岸になります。
左右の写真の農道はつながっていたのですが、左の農道の先は崩落してなくなっており、ガードレールも下に曲がっています。右の写真の農道は波打ち、道半分が崩落しています。
集落の周囲の斜面地では、至る所で土砂崩れが発生していました。
幸いに現段階では土砂崩れによる民家への被害は出ていないようでしたが、今後、梅雨・台風シーズンを迎え二次被害に対する注意が必要です。
避難所
私が向かった南阿蘇村立野地域は、地域全体が土砂災害警戒区域に指定され、二次被害の可能性が高いことから、避難所自体が隣町の本田技研株式会社熊本工場内の体育館に移転していました。
避難所には約120人が避難されていましたが、この体育館自体も被害を受けており、使えるのは玄関ホールとサブホールだけでした。
右の写真は体育館の駐車場で駐車車両もまばらですが、夜には余震などの不安からほぼ満車になるそうです。
避難所の内部
この日は、祝日で避難所から外出されているかたが多く、内部は閑散としていましたが、夜には再び被災者でいっぱいになるそうです。
発災直後は、何よりも安全を第一に、避難者を受け入れる体制を取る必要がありますが、報道などでも指摘されているとおり、避難生活が長期化するとプライバシーへの配慮も重要となります。
この避難所では、幸いに授乳などに利用できるスペースとしてキッズルームが設けられていました。
地震発生後2週間が経過していたため、清涼飲料水や、日用品、レトルト食品、菓子袋等の支援物資は行き渡っていましたが、野菜などの生鮮食糧は、搬送や食中毒の問題から配給はされていないようでした。
体育館ロビーに積まれた支援物資の一部
友人からは生鮮野菜というリクエストでしたが、避難所でノロウィルスが発生したとの報道もあったことから、保存が可能で火を通して食べられるものを中心に、少しでも新しいものをと大半は出発当日の夜に購入しましたが、120人分ということで、1軒のスーパーだけでは賄えず3軒も回ることになりました。
バナナも購入したのですが、レジを済ませ段ボールに詰め直していると、あまりの量の多さに周りのお客さんから真顔で、チンパンジーでも飼っているのかと質問されたり、スーパーのライフさんでは、大根を熊本に持って行くので段ボールが必要と言うと、なんと1本170円を100円に値引いたうえ、段ボール4箱に入れた数十本の大根を自動車まで運んでくださいました。
本当にありがとうございました。
自家用車に積み込めたのは段ボール12箱ほどで、120人では直ぐに消費される量しかありません。今後とも継続的な支援が必要です。
持ち込んだ野菜の一部です。
南阿蘇村では支援物資の受け付けは終了されていますが、持ち込んだ野菜は生ものということもあり、避難所のボランティアが所属するNPOへの寄附という形でお渡ししました。
調理、炊き出しは体育館の前で行われており、10人余りのボランティアのかたが従事されていました。
ちなみに、今回持ち込んだ中で一番喜ばれたのは、バナナでした。
被災地への支援
この避難所には、倉敷市から給水車が、徳島県薬剤師会から避難所を巡回し服薬指導する薬剤師が、福島県から保健師が派遣され、被災者への支援が行われていました。
箕面市からは、発災時に緊急消防援助隊として救急車と後方支援車の2台、消防隊員5名を2回に分けて派遣し、その後も被災した建物の外観や内部を確認し、建物の危険度を判定する被災建築物応急危険度判定士、そして罹災証明などの基本データとなる家屋被害認定業務に従事する職員も派遣し、被災地の支援を行っています。
地震の爪痕
南阿蘇村立野地域は、地震の直撃を受け大きな被害を受けており、ここから阿蘇山方面は、橋の崩落や道路の損壊などの被害を受け関係者以外立ち入り禁止となっていました。
地域を回ったときに感じたのは、古い家屋(昭和56年5月31日以前に建築された旧耐震基準による木造住宅)は壊滅状態、比較的新しい家屋は損傷を免れているということです。
実際に危険度判定の作業が行われている最中でしたが、古い家屋の大半は立ち入ると危ない「危険」(赤)か、立ち入り時に注意が必要な「要注意」(黄)の札が貼られていました。
左の写真は、旧新の建物が棟続きになっていますが、被害を受けているのは古い建物で、新しい建物は損害を免れています。
右の写真の建物は大きな被害はないようですが、内部の部材が破損しているのか「危険」(赤)が貼られていました。
地域内の被害の様子
建物構造による被害
一階部分に壁が少なく、開口部が大きい家屋、倉庫、ガレージなどの倒壊が目立ち、山村では農作業や日々の生活に欠かせない自動車が、倒壊した家屋の下敷きになっている姿を何軒も見かけました。
地盤、石垣が崩れたことによる被害
建物自体の被害は少なくても、地盤が崩れ「危険」(赤)判定されている家屋もありました。右の写真の真新しい家も一階の右端に赤の札が貼られていました。
ブロック塀の倒壊、屋根瓦の落下
村内を歩いてみると、地震の避難マニュアルに記載されているとおり、ブロック塀の多くが崩れており、改めて安全な避難路を確保する重要さがよくわかります。
また、屋根瓦が道路や周辺に落下し、もしも地震時に人が歩いていたら大けがをしていたと思われる場所も何カ所かありました。
墓地、神社など
地震は、人家だけでなく、墓地や神社にも被害をもたらしていました。
消防団の建物は、数少ない安全な「調査済み」(緑)の調査済書が張られていましたが、右下の写真のように消防団の建物以外は大半が被害を受けています。
現地を訪れたのは地震発災から約2週間が経過してからですが、余震への不安、土砂災害の危険から、片付けをする地域の住民や業者の姿もなく、がれきの山も手付かずのままという状況でした。
また、土砂災害は、迅速な現地への支援の妨げとなるだけでなく、これから梅雨の時期には雨による二次災害の危険性も増し、被災地だけでなく地域全体の復興の妨げにもなります。
近い将来、高い確率で南海トラフ地震が発生することも想定されていますが、市では市民安全政策室に加えて、一昨年に設置した水防・土砂対策推進室を中心に関係部門が連携し、「もしも」の災害が発生する前の予防、準備、そして発生したときの対応について検討・対策を進めていますので、改めてブログでご紹介したいと思います。
箕面市では、5月31日まで「目立つワイヤー錠でしっかりロック自転車の盗難を防ごう!」の統一キャンペーンを実施しています。