皆様こんにちは。市政統括の稲野です。
桜やツツジの季節が終わり、清々しい気候となりました。しかし、まだ5月というのに台風が接近したり、早くもむし暑い日が出てきました。いい季節は長続きしませんね。これも地球温暖化の影響でしょうか。
今年の春は、私の好きなヤマボウシやハナミズキがいつになく短命でしたが、ツツジが例年よりも鮮やかに咲いていたように思います。季節の移ろいを感じながらも、市では6月1日から平成27年第2回定例市議会が開催されますので、そちらへ集中してまいります。
また、もうすぐ梅雨の季節になります。集中豪雨に備え、自宅周辺の水回りの点検・清掃や、必要な家庭では土のうの準備など、可能な範囲で水害予防をお願いいたします。
(鮮やかに咲いたヒラドツツジ)
さて、今回は久しぶりに「小野原の歴史・魅力スポット紹介」をお届けします。
○ふたつのお寺
西国街道沿いの旧小野原地区には、古くから地域に根付いた「正念寺(しょうねんじ)」と「理照寺(りしょうじ)」という、浄土宗のお寺があります。地元では、その位置関係から、「正念寺」を東のお寺、「理照寺」を西のお寺と呼んでいます。
旧小野原地区の住民は現在、約200世帯ですが、そのほとんどがどちらかのお寺の檀家(だんか。支援会員みたいなもの)となっており、その数はほぼ半々です。わが家は、東のお寺「正念寺」の檀家です。(ちなみに、神社はひとつのため、ほとんどの世帯が春日神社の氏子(うじこ。支援会員みたいなもの)となっています。)
檀家は、その代表役員として、数人の「檀家総代(だんかそうだい)」を選出しています。檀家総代は、住職(じゅうしょく。お寺を代表する僧侶)とともに、お寺の運営や経理を担っています。各自治会からも「世話方(せわかた)」と呼ばれる各種行事のお手伝いをする世話役を輪番で出して、お寺の行事を運営しています。
近年は、親族やご近所が協力して、自宅でお葬式をすることもなくなり、檀家とお寺の関わりは大幅に減少しています。葬儀や回忌法要でお勤めいただく以外で、お寺が定期的に行うものとしては、毎年お盆前の8月13日頃に各檀家を回り、ご先祖の供養をしていただくくらいになっています。
また、お寺の年中行事としては、毎年8月のお盆前に行われる「施餓鬼会(せがきえ)」があります。施餓鬼会は、生前の報いで不浄の餓鬼道に墜ち、常に飢えと渇きに苦しむ『餓鬼(がき)』に施しをすることにより、その前1年間に亡くなった家族や各家のご先祖様があの世で幸せに暮らせるよう供養するとともに、現世に生きる私たちの福徳延寿(ふくとくえんじゅ)を願う法要です。
小野原では、毎年、東のお寺は8月6日、西のお寺は8月9日に施餓鬼会が行われることになっています。この日は、檀家総代や世話方、そして、女性の世話方である「尼講(あまこう)」になっている役員30~40人が総出で、朝からお寺の飾り付けや祭壇の組み立て、豊川地区の寺々から来られる僧侶の食事の準備などを行い、施餓鬼会を開催しています。また、春と秋のお彼岸には、施餓鬼会と同様に先祖を供養する「彼岸会(ひがんえ)」も行われています。
○お寺の由来
「正念寺」は、正式には「即現山応聴院(そくげんざんおうちょういん)正念寺」といい、いまから445年前、元亀元年(1570年)に、貞公大和尚が開創したと伝えられています。幾度か移転、建替がなされ、現在の地に2層式の立派な本堂がありましたが、建物が老朽化し、台風や地震で倒れて、お隣りの「小野原学園」の児童に危害が及ぶようなことになってはいけないとの判断から、平成2年(1990年)に解体され、現在は本堂がありません。
(現在の正念寺)
「理照寺」は、正式には「笹川山福寿院(ささかわざんふくじゅいん)理照寺」といい、いまから435年前、天正7年(1580年)に、地元の篤志家、笹川市兵衞さんが創建したと伝えられています。正念寺と同様に、幾度となく、移転、建替がなされ、老朽化も進んでいました。そして、平成7年(1995年)1月に発生した「阪神淡路大震災」で、さらに傷みが激しくなったため、檀家の皆さんが多額の浄財を寄進され、平成10年(1998年)に現在の立派な本堂が新築されました。
(現在の理照寺)
○さらに、ふたつのお寺が・・・
また、過去の文献によると、小野原には、このふたつのお寺のほかに、あとふたつのお寺があったと伝えられています。
そのひとつは、「清福寺(せいふくじ)」といい、理照寺の末寺として、西国街道の西端、灯籠の向かい辺りにあったそうですが、明治維新の廃仏毀釈令により、廃寺になったと言われています。
もうひとつは、「澄泉寺(ちょうせんじ)」といい、勝尾寺の末寺、真言宗のお寺として、現存するふたつのお寺の中間辺りにあったそうですが、これも明治時代に廃寺となっています。
なお、これらのお寺は、箕面市史『資料編6 笹川家文書』に記載されている「宝暦9年5月小野原村諸色付込帳」、つまり、いまから256年前の1759年、小野原村の庄屋、篠河善兵衞(ささかわぜんべえ。昔は「笹川」とは表記しなかったようです。)さんの記録に残っています。
宝暦元年(1751年)は、8代将軍、徳川吉宗が亡くなり、宝暦11年(1761年)までは9代将軍、徳川家重の時代です。こんな身近なところにも、古代の歴史があります。
今回は、以上です。諸先輩や地域のかたによって、「わしはこう聞いてるぞ!」と言った、ご意見もあると思います。私の記憶や私見によっている部分もありますので、ご理解をお願いいたします。
箕面市では、7月31日まで『自治会に入ってないかた・地域に自治会がないかた 今すぐ自治会に加入してください・自治会を結成してください!』の統一キャンペーンを実施中です。