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Channel: 部長ブログ@箕面市役所
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1.17 阪神淡路大震災 あれから17年が経ちました

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みなさんこんにちは 市長政策室長の具田です。

17年前の平成7年1月17日午前5時46分、阪神淡路大震災が発生しました。箕面市でも大変大きく揺れ、主に西部地域で全壊を含む大きな被害を受けました。
大震災では、新幹線を含む鉄軌道の崩落、阪神高速の倒壊、各地での大規模火災、神戸市役所や民間ビルの倒壊などなど、”猛煙、落下、陥没”と想像を絶する被害が刻々と伝えられてきました。 

当時の報道を改めて読んでみますと、情報収集の困難さから正確な情報が不足していることや、大規模な火災が続くことから被害が拡大している状況、一方で発生から102時間後にがれきの中から高齢者が救助されたという朗報も記事にありました。また、お隣の大阪市内の被害はさほど大きくなかったことから、渋滞を縫ってバイクでの通勤姿や、電車の止まった線路内を歩いて開通している駅に向かう人々の列なども報道されていました。
一カ月後の記事では、発災当初の政治や行政の検証もされ始めており、“薄かった危機管理意識”、“最新鋭の防災情報システム使えない”などと報道されており、その時の教訓が東日本大震災へ活かされていたのか疑問が残ります。
また、”復興へ祈りそして希望”との記事がありました。1カ月目には、すでに復興に向けた取り組みに向かいつつあった状況が伺えます。

本市も、被災地であったため、避難所の開設など被災者の対応を行う一方、激甚地域であった西宮市や神戸市への救援物資の搬送やボランティアの派遣援助など後方支援も行いました。
市民のみなさんから大変多くの救援物資を提供いただき、グリーンホールのロビーで仕分けや梱包作業を行い、まとまれば現地に送り出して行きました。
こんなに大きな災害に遭遇したことはほとんどなかったことから、手探りでの支援を行っていたのではないかと思います。私自身も、初めてのボランティアを経験し、その後、家族ともボランティアをするきっかけとなりました。
最終的には、死者6424人、負傷者43792人、全半壊249180棟、全焼7036棟、被害総額約10億円となり、当時は戦後最大の犠牲と被害となったものです。


<救援物資の仕分け風景>


<宝塚市における給水支援活動>

あれから17年が経ち、歳月を経るにつれ危機意識は薄れ、関西全体がそのような雰囲気に流されていたようにも思います。そんな中、昨年3月11日、未曾有の被害となった東日本大震災が発生し、改めて“いざ”という時への備えが最重要であることを認識しました。

20年間の契約となっている災害復興公営住宅も、期限まであと3年となったものの、高齢者世帯が多いことから転居先の見通しは立っていないと聞きます。今なおその爪痕は隠れたところで残っています。
本日、午前5時46分、神戸では犠牲者追悼の催しにて黙祷が行われました。今回は東日本大震災の犠牲者の冥福も併せて祈ったそうです。
改めまして、両災害による犠牲者のご冥福をお祈りするとともに、神戸も含め未だ不自由な生活をされている被災者の皆さまにお見舞い申し上げます。

あの頃、わずか3歳で被災し、大震災の記憶もほとんどない子どもたちが、先日めでたく成人されました。あの震災からの復興を遂げた先輩たちの背中を追いかけ、新成人たちが東日本も日本全体も元気にするよう大いに期待するものです。


  



箕面市では、1月から3月まで「はじめませんか?地域のボランティア活動 〜まずは箕面市役所へ!シニア・ナビでご紹介します〜」統一キャンペーンを実施中です。


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