こんにちは。会計室の谷口です。
2012年のカレンダーも最後のページとなり、新たな年へのカウントダウンがはじまりました。
「光陰矢のごとし」といいますが、歳を重ねるにつけ、時の過ぎ行く早さを感じます。
さて、10月22日の本会議において、平成23年度一般会計及び特別会計並びに
上下水道、市立病院の企業会計も含め、全ての決算が認定されました。
11月には、会計管理者又は会計室長の職にある者の役割として、次の4つの
外郭団体の中間監査を行いました。
財団法人 箕面市国際交流協会
一般財団法人 箕面市障害者事業団
公益社団法人 箕面市シルバー人材センター
社会福祉法人 あかつき福祉会
財団法人 箕面市医療保健センターについては、12月13日に行う予定です。
ー<聖天宮西江寺の秋と石碑>ー
11月末の連休に滝道の紅葉を見に出かけた際、市立郷土資料館で開催されていた
「箕面西部地域の石碑展」(10月12日から12月3日まで)を見てきました。
郷土資料館では、平成18年度から拓本を活用して道標や庚申塔、記念碑等の石造文化財の企画展を開催してきています。
今回は、西国街道や巡礼道(勝尾寺から中山寺)、箕面街道が通る交通の要所であり、
近世から近代にかけての貴重で多種多様な石造物の拓本が展示されていました。
私も箕面大滝や市内の社寺にはいく度となく足を運んでいますが、
新緑や紅葉などに目がいき、そこに存在するいろいろな碑などをゆっくり見て、
感じるということをしていなかったな・・・と、今更ながらに思いました。
その展示の中に私の好きな俳人種田山頭火の句碑の拓本があり、その句碑がある西江寺を訪ねました。
聖天宮西江寺は、修験道の開祖「役行者」が開山した古刹で、『西江寺略縁起』に
よれば、役行者がこの地を開くために五香の滝(箕面大滝)で修行していたところ、
大聖歓喜天が当山を日本最初の歓喜天霊場とし、万民の諸願を成就するために姿を現したと伝えられています。
この歓喜天は、恋愛の神ともいわれており、恋の成就を願ってお詣りされるのもいいのではないでしょうか。
境内には四つの石塚と二つの句碑があります。
一つは、聖天閣への階段右横にある 五彩塚
これは、日本画四条派の大家で書家としても著名な青水画伯を偲び、
愛弟子の柏屯(はくそん)氏が建立されたもの
二つ目は、同じく階段左横にある 筆塚
中央、筆塚の文字の右肩には、梅村香堂画伯、左下には東雲斉○○と名が刻まれています。
三つ目は、筆塚の西側にある 花塚
この石塚には、先の二つのように名等はなにも刻まれていません。
四つ目は、境内南側にある 蟲塚
この石塚には壺の形が描かれ、その中に蟲塚の文字が刻まれています。
毎年10月の第1土・日曜日には、供物を捧げ法要する蟲供養が行われています。
「蟲」とは、生き物全てを指し森羅万象を供養するという意味で、今から
1350年前、行基菩薩が都や山を行脚された時、腰にさげた壺に虫のなきがらを拾い集
め、供養したことが始まりと伝えられています。
約600年前の室町時代には、明恵上人(みょうえしょうにん)がこれに習って蟲塚を建て、
毎年供養したと記録され、明治時代になると、藤村叡運和尚(ふじむらえいうんおしょう)
が、なにわの風流人に呼びかけ復興。
昭和14年に関西の虫どころとして西江寺に移り、現在に至っているとのこと。
よって地域だけではなく、広く大阪の商売人や文化人などの参拝者も多く、
蟲供養のときには、茶会、花会、邦楽、雅楽、川柳会、句会などもひらかれ、風流な一日が過ごせるそうです。
蟲塚の左横には、大阪の著名な俳人入江来布(いりえらいふ、昭和31年没)の句碑があります。
昔(どの位前かは?)西江寺から坂を下った一の橋のところにも、
大きな石の鳥居があったそうですが、それが壊れたため(なんでかは?)、
その石柱の一部を使って建てられたとのことです。
碑には、 「三千の 世界は須臾(しゅゆ)に けさの秋」 の句が詠われています。
もう一つの句碑は、
「分け入っても分け入っても青い山」の句をご存じのかたは多いと思いますが、
明治・大正・昭和の時代を生き、旅と酒を愛した昭和の芭蕉といわれる
種田山頭火の句碑が聖天閣の西側にあります。
山頭火が、修行僧の姿で全国を旅していたときに立ち寄った箕面の西江寺で
行われた句会の席で詠んだものです。
「みんな洋服で 私一人が法衣で 雪がふるふる」
山頭火は、伸びやかで雄大、そして自由な生き様そのものを
季語や五・七・五の形にとらわれずに表現する自由律俳句に詠みました。
裏面には、「昭和十一年三月八日 期中日記より山頭火五十四歳」とあり、
修行のために人々に施しを受けながら旅をしていた山頭火が、酒や食べ物を
句会の参加者から施された感謝の気持ちを書き記しています。
この句碑を見て、私の書棚から久々に出してきた山頭火の本です。
黄ばんで、カバーは斑点だらけになっていますが、裏表紙の内側には、
1974年12月24日、○○さんからと記してあり、38年前のクリスマス
プレゼントにいただいた物(なんと地味なという声が聞こえてきそう)で、
ページを繰りながらしばし当時のことをなつかしく想い出しました。
また、資料によれば西江寺に向かう中ノ坂は、古代から聖地視された箕面山と、
そこに建立された瀧安寺(旧箕面寺)の宗教世界の入り口にあたるそうです。
中ノ坂登り口は古道の四つ辻にあたり、地域の人びとの共同の洗い場として
利用されていた用水路が、今も貴重な民族資料として保存されています。
用水路の洗い場
今回、郷土資料館の「箕面西部地域の石碑展」を見たことから、
改めて聖天宮西江寺を訪れ、いろいろな石碑について知ることができました。
これからも見過ごしていたり、まだ知らない箕面の歴史を訪ねてみたいと思います。
ー<想い出の一冊 その5>−
★ 「葉っぱのフレディ ー いのちの旅 ー」 1988年10月22日初版発行
童話屋 1,575円 (税込)
作:レオ・バスカーリア 絵:島田 光雄 訳:みらい なな
春に生まれた葉っぱが、夏に人々に憩いを与え、秋に目を楽しませ、冬に散るまでの短
い生命を通して“いのちの尊さ”を描くと同時に、その散った葉っぱの栄養分が、
また、新しい葉っぱを生み、いのちは永遠に続いていく・・という生命の循環を
描いた“いのち”の物語
この絵本は、今から14年前に発行され、ベストセラーとなった絵本です。
東儀秀樹さんの雅楽の旋律にのせて、故森繁久弥さん朗読のCDも発売されています。
また、今年で101歳を迎えられ、今なお現役の医師として活躍されている
聖路加国際病院 理事長の日野原重明さんが、この絵本を音楽劇に
企画・監修され、同名のタイトルで毎年上演が続けられています。
絵本の最初のページには、編集者からのメッセージが次のように記されています。
この絵本を 自分の力で「考える」ことをはじめた子どもたちと 子どもの
心をもった大人たちに贈ります。わたしたちはどこから来て どこへ行くの
だろう。生きるとはどういうことだろう 死とは何だろう。
人は生きているかぎりこうした問いを問いつづけます。この絵本が 自分の
人生を「考える」きっかけになってくれることを祈ります。
この本は アメリカの著名な哲学者 レオ・バスカーリア博士が書いた
生涯でただ一冊の絵本です。
そして、もう一冊
★ 「かぜは どこへいくの」 1981年3月初版発行 偕成社 780円
作:シャーロット・ゾロトウ 絵:ハワード・ノッツ 訳:松岡享子
「昼がおしまいになったら、お日さまはどこへいくの?」
「風がやんだら、そのあとどこへいくの?」
小さな男の子には、ふしぎなことがいっぱいあります。
お母さんは、この世のものはすべて終わるのではなく、別のところで
また新しい始まりがあるのだということを、わかりやすく話してくれます。
このお母さんと男の子のやりとりは、とても愛情にあふれていて、心の奥から
じわじわと伝わってくるものがあります。何かが終わってしまったり、失敗して
しまったりということがあったとしても、それはまた別の場所で別の形で
始めるためだったのだと、思えるような気がします。
ゾロトウのやさしさに満ちた文とノッツのやわらかく繊細な鉛筆画は、
読むものを優しく温かく包んでくれます。
箕面市では、8月13日から12月31日まで『大地震! 「うちは大丈夫」の目印は 黄色いハンカチ作戦』統一キャンペーンを実施中です。