おおっ!!
幼気な少年に今にも襲いかかろうとする不気味な黒獅子!
(昭和の頃、我々は畏怖と敬意を込めて彼を「くろかぐ」と呼んだ!)
ああっ!!
こちらでは幼子が!
絶体絶命だっ!
・・・むむむ・・・、ブログデビューから早半年。
とりあえずの目標は今年度消化。あと6回、あと6話・・・(わかる人にはわかる)。
そろそろマンネリか、という声をバネに意表をついたつもりの劇画調でスタートしたが、どっこい、引き出しの薄さを露呈してしまったかもしれないぞ。
底をついたか農業委員会、来月は衝撃のオネエ調でスタートか?
う〜む、まずい。そいつはまずい、いくらなんでもあかん・・・。
という具合に、冒頭ネタで頭を悩ます秋の夜長はちと寒いっす。
不摂生の祟りか花粉症によるものか、キンモクセイが香る頃になるとクシャミ連発で熱っぽい・・・。
そんな中(?)、地元西小路で秋祭りがありました。
西小路八幡太神社の祭礼ですが、地元の子どもたちが牽く御輿の他、天狗、獅子、爺などが子どもたちを追いかけ回す独特のおまつり。
写真のような細く割った竹を持ち、ジャラジャラという音を立てながら、手当たり次第に子どもたちを追いかけて叩きまわす、というもの。叩かれると頭が良くなる、らしい。 あいたたたっ、後ろのお兄さんが男前すぎるぜ!
私が小学生だったころは箕面小学校の創立記念日(休校になる)に併せて毎年10月16日に本祭があり、午前中は御輿を牽いて、午後から日が暮れるまで追いかけられっこを楽しんでいた。
宵宮から光明寺前に置いた大太鼓のドンドンする音が響いてくると、頭の中は天狗一色になりドキドキしたものです。
当時は、民家の庭であろうと納屋であろうと逃げた子どもをとことん追いかけ、獅子は顎で叩くわ噛むわ、追いかけ疲れるとジャラジャラを投げつける輩も。
こちらも知ってる限りの罵詈雑言を浴びせて、爆竹やかんしゃく玉を投げ精一杯いちびりまくり。
怒った天狗が追いかけてくるとウワァーと叫びながら蜘蛛の子を散らすように逃げ回った。
どうした、なぜ逃げずに笑ってるんだ!獅子だぞっ、獅子!
いやいや、単に逃げるだけではない。我々は天狗と一定の間をあけて対峙し、天狗が動けばその間を保ちつつ前後に移動、天狗が走り出せばこちらも走り出し、逃げ遅れた子どもが餌食になる。南北に延びた狭い通りを天狗の動きにあわせて前後を挟んだ子ども集団が一進一退、まさに押せば引く引けば押すの対決を行うのであった。
ところがそこに突然裏道を迂回した別の天狗が集団を割るように飛び出してくると、それこそ大騒ぎで逃げ回る、ここで多くの子どもたちは打たれて倒れていくのであった、不思議なことに笑いながら。
子ども側も負けじとばかり、こっちでからかったかと思うと今度は向こう側から挑発する、裏道を迂回して天狗の背後に出るつもりが逆に待ち伏せられたり、夢中で逃げて線路に飛び出して今度は電車に追いかけられて冷や汗をかいたことも。
子どもながらに、世の中でこんなおもろいもんはない、と祭りが終わると心底寂しい思いがしたものです。
ひょっとして、お尻が破れていて急いで帰るのか、笑われるぜ!
追いつめられたおいらを挟み撃ちする天狗と黒獅子。
前も後ろも逃げられへん、あかん、どないすんねん、くぁい!
(「怖い!」と言ったつもりが恐怖のあまりこうなった。)
あー、おもしろかった・・・。
もっとも近年は若い衆も平日では集まりにくいことから創立記念日ではなく土日に行うことになり、宵宮もなくなって追いかけっこも何時から何時までという形になっています。
何より変わったなと思うのが子どもたち。
なんとまあ、逃げ方の上品なこと。袖口でズルズル鼻水を拭いた子どももクソ生意気な小僧も見あたらず。天狗さんもどちらかというとメタボ気味でお疲れ様。
頼むから疲れないでくれ!俺はあんたらに憧れてたんだぜ!
かつての西小路メイン通りを包んだ熱気とは違う、小さな子ども連れのお母さんがたが集まって、天狗と楽しむ催しといった感じになりました。
何なんだ、この微妙な間は・・・? なぜ無視なんだ・・・。
これはこれで今の時代にあった形でよいとは思いますが、子どもと天狗の知恵と体力の真剣勝負を楽しんだ世代には少し物足りなさが残るかも。
祭りの様子はこちらからもご覧いただけます(みのおどっとネット「ようこそ、天狗の世界へ」)。
さて、箕面小がらみの話ついでに「こんなんあったシリーズ」、昭和40年代半ばの校庭写真です。当時の東側校舎3階から撮ったものと思いますが、なぜこんな写真を撮ったのかはよく覚えていません。
ちなみにこのブログに登場する健康福祉部の中井理事は箕面小の同級生で、当時のあだ名は「ピュー」。
彼とは中学・高校も一緒で、50を過ぎた今でも呼ぶ時は「ピュー」です。昔からの友達はいいものですね。
予定外に祭りの話に力が入ってしまいましたが、要するにおもしろかったことと、今では農地が少なくなった西小路地区も、かつて秋の豊作を祝った奉納祭が今も延々と引き継がれている、こんなところにも農村地域であった箕面の面影をみることができる、ということを伝えたかったのでした。
このように、地域に伝わる伝承や風習など、私たちの生活には農と関わりのある事柄が多々残されているようです。
ところがこうした我が国の農の歴史や文化が、今多くの課題を抱えていることはご承知のとおりです。
これまでにお知らせした箕面の農業を取り巻く課題や農業委員会の取り組みを、うちの局長代理がうまくまとめてくれたのでご覧ください。
画像をクリックすると大きくなります。
農を取り巻く課題は、農業者、非農業者、そして行政など関係機関の3者が互いにバランスよく調和していかなければ解決できないと考えています。
そしてこのトライアングルの調整役こそ農業委員会が行うべきこと、農業委員会にしかできないことと認識し、農業委員の皆さんが一体となって取り組みを進めています。
さあ、話はかわって、ブログ掲載時期には市内ほとんどの地域で稲刈りが終わろうとしているでしょう。
最近は少なくなりましたが、刈った稲穂を天日干しされる農家さんも所々で見受けられ、彼岸花とともに秋の田を象徴する光景ですね。
この日本の心ともいうべき風景、稲穂の輝き、赤とんぼや蛙の鳴き声が、私たちの街から失われてしまったらどうでしょう?
以前にも、子どもたちの農業体験の様子を掲載しましたが、先頃止々呂美学校の子どもたちが、自分たちの植えた稲の刈り入れを行いました。農家さんのご指導のもと、ケガをしないように慎重に刈り入れた子どもたち。
難しいことはまだわからないかもしれませんが、お米をつくったという貴重な経験を持つ子どもたちが、様々な世界に飛び出した後も、農のよき理解者となり農ある風景の守り手となってくれることを期待したいですね。
ご想像どおり、バッタをつかむ手はいつもの辻岡氏、ツクツクボウシを見つけたのも彼でした。
ところで・・・、彼岸花、曼珠沙華。その他いろいろ呼び名を持つ不思議な有毒花。
中国伝来とのことですが、基本的には種子で増えることはなく株分けにより増えるらしい。
群生する様子は見事ですが、墓花、死人花など、忌み嫌われるイメージも。
有毒のため年貢の対象外であり救荒食として栽培した、毒性を利用してモグラやネズミに荒らされないよう墓地や田の畦に植えた、等々諸説あるようですがいずれの説も説得力があります。
少し時期はずれですが、この時期の田には点景としてかかすことのできない赤い花。きまって彼岸の頃に咲き、農に深い関わりを持つ妖艶で不思議な植物です。
さて、農業委員会では農地パトロールの関係もあってよく外にでますが、車から降りて歩いていると季節の移り変わりを肌で感じることができます。
大地の様子、風のにおい、空と雲、そして人・・・。
生きていることが実感できるなぁ、と幸せな気分になれるひとときです。
まもなく秋本番。
箕面の山が日に日に色づいていく様子は市役所からもよく見えますが、今年はどんな紅葉をみせてくれるのでしょう。
いつもの時間、いつもの道。
ひとつ気持ちを切り替えて、カメラやお弁当を持って小さな冒険をしてみませんか。
きっと、「あー、おもしろかった」と思える出来事がみつかりますよ。
最後に今月の一枚、「収穫の合間に!」(止々呂美地区にて)
撮り手の技量不足で少し笑顔が硬くなってしまいましたが、収穫を終えてほっと一息。
こちらも思わず笑顔になる素敵な時間でした。
箕面市では、8月13日から12月31日まで『大地震! 「うちは大丈夫」の目印は 黄色いハンカチ作戦』統一キャンペーンを実施中です。